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スタッフ紹介

日野 きよ

Kiyo Hino

住宅ローンアドバイザー

様々な現場に立ち会わさせて頂き、お客様の思いを形にする事への素晴らしさを感じております。会社のモットー『いい家は、いい会社のいい社長が、いい社員と心をこめてつくる家』を胸に刻み、日々、勉強の毎日です。ママさん目線で、少しでも夢と希望あふれる家づくりのお手伝いが出来たらと思っております。

父の転勤で、子ども時代はいろいろな街に住みました

私の生まれは兵庫県で、2歳まではそこに住んでいました。
父親が俗にいう転勤族で、3歳になると神奈川県小田原市に引っ越したみたいです。

 

私の中でハッキリとした記憶があるのは、静岡県清水市(現静岡市)で暮らしだしたあたり。
4歳ぐらいから小学校5年生までの約7年過ごした思い出深い土地です。

 

また11歳離れた弟が誕生したのも、この土地です。

 

清水の思い出といえば、地震が多かったことでしょうか。

 

徳島では馴染みがないのですが、児童一人ひとりが防空頭巾を持っているんです。
座布団型になっているので、普段はイスに置いて座布団として使っているから、頭巾はぺっちゃんこ(笑)
それを使ってよく避難訓練をしていました。

 

もう一つ思い出深いのは、バスケットに夢中になったことです。
私は身長が低めなのですが、とにかくバスケが大好きで。
練習は欠かさず参加し、レギュラーになる日を夢見ていました。

 

5年生までは清水にいたのですが、その後また転勤で今度は北海道の音別町という町に行くことになりました。

 

清水ではバスケをやっていましたが、北海道では中学1年生からソフトボールをはじめて・・・。
だけど北海道って雪に埋もれている期間が長いので、外で走ったりキャッチボールをするのも大変でしたね。

 

それに静岡から北海道に移ってみて思ったのは、方言が違いすぎて言葉が通じなかったり、結構田舎の町だったので、同級生はみんな小さな頃からずっと一緒の子たちばかり。
授業もスケートの授業があったりと、環境に順応できず、孤独を感じることも多かったような気がします。

 

北海道時代に心の支えだったのは、11歳年下の弟の存在でした。

 

弟の面倒をみたり、一緒に遊んだりして「第2のお母さん」みたいに、過ごしました。
今はもう弟もすっかりおじさんですが、やはり可愛い存在ですね(笑)。

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